◎公開授業
1ヶ月以上更新しないと広告出しちゃうんだって。
むかつくけど上手い方法だw
だってこうやって更新しちゃうんだから。
学級通信は書かなかった。
何度も何度も迷ったが、やはり出さなかった。
文をつづるというのは、自分の感性を表に出すということであって、少なからず気を遣うことでもある。
そのぶん、粗末にされるとつらい。
そして。
粗末にされるのを怖れるがゆえに、学級通信を出せなかった。
語るべきことを理解してくれそうな者にしか、今わたしは語ることができそうにない。
惰弱なことだ。
何かと気苦労することが多いのよ。
雨天決行の球技大会。
夜に咳して腹筋痛いわほとんど寝てないわという最悪の事態。
正直なところ、かなーり休みたかった。
でも副担任の先生が体育科なので、ホームルームをお願いする人もいないという…。
雨の中、呼気の乱れを自覚しつつ、「あー思い出すナー」なんて考えながら出勤。
何を思い出すかって…行事のときに体調の無理を押して引率したら、結果としてぐだぐだになってしまった時のこと。
出かけた会場で遅刻してきた生徒を待つために会場の外にいたら、先に会場入りさせていた生徒が席に着く際に混乱が起きてしまったという。
副担任とは連携が取れず。
クラス委員はそういう事態を取り仕切れるほど慣れておらず。
生徒たちは各自で考えて行動できるほど大人ではなく。
それらのひとつひとつは些細なことなのに、ものすごい空白ができてしまったのだろう。
同じチームの筈の人たちには冷ややかな評価を頂戴し。
生徒らには「体調不良も自己管理だ」と苦情を受け、その年の終わりごろには「担任をやめろ」と日誌に記されるほどになり。
保護者にはどう伝わっていたかはわからないが、まあ、良くはあるまい。
そんな、過去。
…この仕事している限り、絶対忘れないだろうな。あれは。
それらはつまるところ、全部わたしの責任。
頼むべからざるものを頼んだがゆえに、起きたこと。
副担任や同僚に、求めるべきではないものを求めた。
生徒たちが訓練すべき場を、細かく計画してこなかった。
そんな危地に、わたしは見込みも甘く無防備な仕事ぶりで臨んだ。
そういうことだ。
けれども。
あの冷たさはとても苦しかったから、自分が悪かったとしても、もう二度と感じたくはないものだ。
ならば。
担任とは、どう在るのが良いのか。
他の仕事を抱えているはずの他の教員を、漠然と頼らない。
根拠無く、生徒総体の善性や能力に期待しない。
信頼に足る生徒を根気強く探し出して、成長を願い、少しずつ成長する機会を持たせていく。
…そうして、時間が経てば経つほど自然と動いていく学級になっていければ良いのだろうか。
ホームルームも最低限に行い、教員チームに入れられようとするのもかわし、雨の中の巡回もそれなりにやる。
生徒たちをかまってみたり応援してみたりして、時間が経つにつれて落ち込んでいく体調を忘れるように心がけて、なんとかやり通す。
完全な死体にならなかったのは、それなりに楽しんでいるようである生徒たちの姿を見続けることができたからだろうな、と思う。
昔からそうだった。
生徒たちの様子がおかしくなってくると、殊の外体調やテンションが落ち込む。
生徒たちの様子がイイ感じなら、できないことなど無いような気さえしてくる。
これが良いことなのか悪いことなのか、自分にはよく判らない。
3:00に寝て7:00に起きる。
正直、予定外。
予定では昼前に起きて、アパートの入り口から盗難された自転車の代わりを買うのと洗濯をするのとを予定にしていたのだが、この時間では自転車を買うにもまだ開店してないし、洗濯をしたら近所迷惑。
うだうだしていたら9:00過ぎにまた寝てしまう。
13:00に二度寝から覚めて、しばらくぼーっとしていたらふたり生徒が来る。その前に電話が来て、なんだろーと思ったら、夕方に卓球するのだが、それまでが時間的に暇なんだそーな。別にイヤでもなかったのでご招待。
エントロピーの増大していた部屋も、意外な片付けチャンスを見つけてややマトモになる。なにせかなり前から掃除機かけてなかったから(^^;;
事前予告通りペットボトルの水さえも無い接客なのだが、生徒たちはハガレン読んだりハンゲームしたりして好き勝手に過ごしていった。
16:30過ぎに生徒たちが去って、おれも徒歩でホームセンターに出かける。ちょうどおれの前に自転車を買おうとしている客がいて、店員が「来週の水曜ぐらいに自転車の売り出しキャンペーンをするから今は少ない」などと言っているのを聞いてしまう。…少し迷ってから、そのまま帰宅。途中で家賃を振り込んで食べる物を買って帰宅。
少し「P3-FES」のアイギス編をやってみる。悪魔全書が無いのにややうんざり。影響大きかったのね、このシステム、なんて感じてみた。
学年企画の「朝作文」の設問を考える。
適切な題材を、と思うと意外に難しい。…明日の朝に実施するものなのに…うーむ。
今年度も、全20回予定で予備校講師がウチの学校にやって来るという土曜講座が行われる。
今日ようやく、その土曜講座の中の古典に参加することができた。参加することは、何年か前からのちょっとした念願だったりする。
昨年度はクラスで遅刻する者多数だったので、講座に参加したくてもそうすることができなかった。今年度は遅刻する者も今のところはそう多くもなく、いっそ割り切って参加していってもいいかな、とか思っている。
担任の先生と講師の方とにあいさつをして、最初から最後まで、90分の講座を受けた。
そのクラスの生徒には「なんで来るンですか」とか「オレの後ってイヤなんですけど」とか、かなりヒドイことを言われたのだけれど、「いや、ティームティーチングとかじゃなくておれも講座受けるだけだから」とか「たとえおまえが寝ても血を吐いて死んでも放置するから」とか、さらにヒドイことを言い返し、机を持ち込んで参加。
結果は……かなりおもしろかった。
普通に参加すると同時に、「この教材をおれならこう授業するとして、この人はこんな授業にするのか」と考え続けていたりして、90分がとても短いこと。
間違いない、と感じたのは。
この古文講座はかなり有用だな、ということ。
また、この講座についていけなかったら、まともな進路はないな、ということ。
おれは。
自分の授業が「つまんない」と言われても、「おもしろい」と言われても、「そうですか」としか実のところ返事ができない。
なぜなら、自分でやっている授業を、自分自身で受けることはできず、したがって客観的に評価することが決してできないから。
しかし今日、講座を受けて感じた。
他教科は知らず、今年度の土曜講座・古典に関しては、「遅刻しても、寝ても、サボっても、全部そいつが100%悪い」というように。
学習内容に付いていけない、受ける側に問題がある。
遅刻をしてしまう、途中で寝てしまう、その生活リズムに問題がある。
サボってしまう、その根性に問題がある。
不都合が起きても、全部、生徒の問題。
もしくは。
盲目的に生徒を養護しようとする、保護者の問題。
まじめな生徒は、文系で好きな進路を取るための大事な何歩かを、そのまじめさに応じて手に入れるだろう。
そう思った。
(意訳・ぶっとび訳につき使用ちぅい)
休日よりも平日の方がマンガを読めるというこの不思議(笑)
どれも良くって、シアワセなひとときを過ごしまちた。
休日全部出勤していましたから。
学校での宿泊研修2日の顧問。
文化祭実行委員たちの集まり1日中。
楽しかったよ。
生徒たちが一生懸命だったし。
だからこれから暇を見つけてじっくりやればいいかな、と。