合宿から休む間もなく補習。
かといって補習のための教材がどこからか湧いてくるわけもなくて、全部追加の仕事として教員の背中にのしかかってくるわけだ。
……。
寝てるし。
誰のための補習なんだろうね。
「死の壁」を読む。
「バカの壁」の続きということで。
と言いつつもこれはかなり興味深い内容だと思いながら読んだ。
たとえば。
「死とは何か。それを考えていくと死体には人称の別がある」というのは、なるほどと思った。
「ない死体」=「一人称の死体」=「俺の死体」
言葉では存在しているが、見ることができない。
「死体でない死体」=「二人称の死体」=「親しい人の死体」
いわゆる抽象的な死体とは別物で、私たちがもっともわかる「死」であり、悲しみなどの感情を伴って見つめる「死」を指す。
「死体である死体」=「三人称の死体」=「アカの他人の死体」
これのみが、私たちにとって死体として認識することができる「死」となる。
他にも、「死」ということから、日本の共同体論やエリート論に話が広がってゆく。
さすがにこの視点は自分には無かったものだと気付かざるを得ない。
それだけ実際の「死」というものから遠ざかっているのだろうな。